“いのち”に呼びかけてくださる神
―主任司祭メッセージ 2/6―



 

  神はいのちに“呼びかけて”くださるお方です。創造主である神さまは、すべてを「存在」へと呼びかけてくださることが、聖書のはじめに書かれています。

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(創世記 1・3)

 救い主である神さま、すなわちイエズスさまも人を「いのち」に呼びかけてくださいます。

(イエズスは)「…ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた(ヨハネ 11・43〜44)

 神さまの愛の呼びかけによって、わたしたち一人一人もこの世に生まれました。親はわたしたちを産みますが、“いのち”に呼びかけてくださるお方は神さまです。こうしてわたしたちは、この神さまの恵みに満ちた呼びかけを知り、それに従うことによって生き、幸せを見出します。
 
よく知られている聖書のエピソードがあります。少年サムエルが初めて神さまの声を聞き分けて、その呼びかけを知ることになる場面です。そのとき こうあります。

主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話ください。僕は聞いております。」(サムエル上 3・10)と。

 聖書は、神さまが人に呼びかけられるエピソードでいっぱいです。神さまは、アブラハムをお呼びになったとき、次のように言われました。

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。」(創世記 12・1〜2)

 イエズスさまもその弟子たちにこう呼びかけられます。

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。(マルコ 1・16〜18)

 それと同じように、あなたもわたしも 一人一人に神さまは呼びかけられておられます。そのみ旨を知り、従うように…。
 
イエズスさまは使徒パウロも呼ばれましたが、エフェソの教会への手紙にパウロは次のように書きました。

そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼(バプティスマ)は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりにしたがって、恵みが与えられています。(エフェソ 4・1〜7

 実はわたしたちが人生の中で何かを決めるとき、神さまの呼びかけではなく、自分の目先だけを見て興味や都合を中心に考えがちですが、わたしたちの本当の“いのち”は神さまがくださるものです。 神さまからの呼びかけに目覚めることによってわたしたちは先に愛してくださる神さまに心を開くことを学び、そこに幸せを見出すのです、イエズスさまと同じように…。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ 15・9)

 今回このメッセージで、神さまの呼びかけについてパパ フランシスコの言葉を思い出させていただきます。
 神さまの生涯にわたる呼びかけは三つあります。

1.「いのち」への呼びかけ…この呼びかけによってわたしたちは、唯一の愛で愛されて、ペルソナ 唯一の存在となっていること。
2.信仰への呼びかけ…つまり神の子どもとして神さまの家族の一員となることへの呼びかけ。
3.独特な生涯への呼びかけ…自分の生涯を独特な奉仕をもって生きるという呼びかけ。この呼びかけは、わたしたちが愛の掟をどのように実行すべきかということを示すものです。この呼びかけには二つの種類があります。
 一つは結婚への呼びかけ、もう一つは結婚以外の特別な奉仕(例えば司祭職、修道生活など聖別された奉仕)への呼びかけです。さらに、パパ様は次の説明を加えられました。これらの奉仕はすべて、人間に対する神さまの愛のプロジェクトを実現するために定められています、と。
(参照 2021/1/17 アンジェラスの祈り)

 神さまから呼びかけられたわたしたちにとって、愛をもって応えることは何よりも大きな まことの幸せです。つまりいろいろな形で兄弟のためにいのちを捧げることだからです。神さまの愛に応えるように呼ばれたわたしたちにとって、“愛をこめて行うこと”につまらないものはありません。本当に!

 毎年2月2日は「主の奉献」の祝日をお祝いしますが、この日独特な形で教会奉仕に呼ばれた人々のために祈ることになっています。この横浜教区に一粒会がありますね。これは司祭職に呼ばれた人々の養成のためにあります。司祭が教会の中で務めを果たすためだけでなく、イエズスさまに独特な形で身を捧げて生きるという呼びかけであることを思い出して、司祭のために祈りたいと思います。司祭が、よい牧者キリストに倣いその存在を現わし わたしたちを養い育てることができますように、祈りたいと思います。

 ではまた来週!

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。