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[主任司祭メッセージ]
No.112 「教会の母」 聖マリア

2022年06月12日

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
マリオ・ビアンキン神父

 

「教会の母」聖マリア、これはイエズスさまを信じて“イエズスさまの教会”(イエズス様の民)となっているわたしたちの母のことを示しています。
 おとめマリアさまは天使ガブリエルを通して伝えられた神さまの御はからいの言葉に承諾されて、“神の母”となられたのですが、教会はこの祭日「神の母聖マリア」をクリスマスの8日目、つまり1月1日にお祝いします。
 マリアさまは、わたしたちの救い主イエズスさまの母となられると同時に、さらに救い主イエズス・キリストの体である「教会の母」にもなられました。教会が“キリストの体”であると使徒パウロは次のように記しています。

あなた方はキリストの体であり、また一人一人はその部分です。(Ⅰコリント12・27)

 ですがこの二つのことには順序があります。「お告げ」の時に示された信仰をマリアさまは十字架上でイエズスさまが亡くなられる時も保たれ、わたしたち教会の信仰の模範となられました。
 十字架上で亡くなられるとき、イエズスさまご自身のお言葉が次のようにあります。

イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、
クロパの妻マリアとマグダラのマリア とが立っていた。
イエスは、母とそのそばにいる 愛する弟子とを見て、
母に「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」
(ヨハネ19・25‐27a)

 それまでマリア様の信仰に学び また十字架のそばに母と共にいたあの弟子に、イエズスさまはここでご自分の母を託され、また母にその子を委ねられたのですね。
 さらにご昇天の時イエズスさまは弟子たちにご自分が送る聖霊のおくりものを待つようにと 次のように指示されました。

「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」
(使徒言行録 1・4b)

弟子たちは

…彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。
それはペトロ、ヨハネ、ヤコブ、…
彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、
またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
 (使徒言行録 1・13‐14)

 この“家の上の部屋”はラテン語で「セナクルム」と言われ、昔から「教会(信じる人々の集い)」そのものを表す言葉として使われていました。「教会」とは“場所”である先にキリストがご自分のもとに集めてくださる人々(キリストの体)のことですね。
 実はこの部屋は計り知れない深い意味を持っていました。そこは、イエズスさまが最後の晩餐を行われ、また愛の掟を渡され、ご自分の遺言の言葉を述べられ、さらに教会のために父への祈りをささげられた場所です。またお亡くなりになった後弟子たちが怖くて鍵をかけて集まっていたところに復活されたイエズスさまがお現われになった場所でもあります。
 こうして、ここは聖霊のおくりものを待つためにこころ一つにして祈る弟子たちに最もふさわしい場所でもありました。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした。
(使徒言行録 2・1‐4)

 言葉をかえて言えば、この場所セナクルムはわたしたちを“キリストの体”にしてくれるので、この場所も「教会」と言われることになるのです。
 こういう理由でイエズスさまと聖霊の働きによりわたしたちをキリストの体にする場所「教会」には、初代からマリアさまの存在を示すものが重んじられて来ました。長崎での信徒発見の時に、マリアさまの御像を見て「わたしたちの心は同じです」と村人たちが言った出来事が思い出されます。マリアさまは、救い主イエズスさまへわたしたちを導くお方ですね。

 聖パウロ六世が第二バチカン公会議の時にマリアさまの称号の一つとして「教会の母聖マリア」を正式にお定めになりました。また最近パパ フランシスコがこのお祝い日を教会のカレンダーの「聖霊降臨」の祭日の“次の日” に定められました。

 「教会の母聖マリア」から学んで、“教会であるわたしたち”について、これからしばらくの間メッセージを通して学んでいきたいと思います。

 また来週!

 

* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使う ように定めています。ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です