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[主任司祭メッセージ]
No.119 (9/4)よい友イエスと共に歩む幸せ

2022年09月04日

 

 夏が過ぎお彼岸が近づいていますが、過ぎ去っていくこの時も恵みの時なので、まずご一緒に神さまに感謝したいと思います。

 いのちと同じように時間は恵みですね。その理由は神さまがわたしたちの中に「その幕屋」を置かれたからです。その恵みはわたしたちが置かれた場所で実現されます。それはヨハネの福音の書に次のように書いてあります。

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた(幕屋を張られた)。
わたしたちはその栄光を見た。
(ヨハネ1・14)

 シスター渡辺和子さんの本を思い出しますね。“置かれた場所で咲きなさい”と。
もはやわたしたちには居場所があります。その場所はイエズスさまの元にいることです。よい友イエズスと共に生きる、これこそ神さまの恵みです。

 ですが、この感覚をもってつまり信仰の心をもって生きるために、こころの方向を変える(わたしたちの普段の考え方を変える)必要があります。イエズスさまはこう言われます。

「もしだれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、
さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」
(福音書 ルカ14・26)

 「もしだれかがわたしのもとに来る…」とありますね。この言葉を読むと、わたしは思い浮かぶ歌があります。それは「瀬戸の花嫁」の歌詞です。この歌は両親や兄弟と別れ故郷を離れてお嫁に行く思いを歌っています。つまり、新しい一致(場所・人)を体験するためには、これまでの人や場所から離れなければなりません。それはみんなが経験することです。
 ですが、イエズスさまとの一致をつくるということは、これまでにない新しさがあります。それは、イエズスさまのもとでは天と地がつながっているからです。ここに新しいいのちの一致が生まれるのです。こういう理由でキリスト信者としてイエズスさまを「まことの友」とすることが、わたしたちにとってどれだけ大切かがお判りになりますね。つまり新しさに満ちたイエズスさまとのつながりは、わたしたちの地上のつながりを全部「一新する」のです。
 イエズスさまのもとで生きるわたしたちは、「置かれている場所ですでに愛されている」ことを学びます。ですから置かれているところで実を結び、そこにいのちがあり、幸せがあることがわかります。

 では、イエズスさまはどこにおられるのでしょう?イエズスさまはその教会に宿っておられます。つまり共に旅をするわたしたちの内にイエズス様は居られますね。いのちと同じように、わたしたちは旅するイエズスさまと共に教会となっています。つまり空間も時間も過ぎ去るものですが、わたしたちは“永遠に生きるため”にイエズス様のいのちの許に呼ばれているからです。それは創造の初めからのことです。神さまが人をご自分にかたどって造られたからです。
 それから神さまがわたしたちにイエズスさまをおくってくださった理由は、イエズスさまのもとでわたしたちが永遠のいのちに与かることができるようになるためです。
 実は教会という言葉は「場所」も表します。ここは具体的にわたしたちがしるし(秘跡)を通してイエズスさまのもとに生きることを経験するところですね。
 この場所には、わたしたちと共におられるイエズスさまの現実の現存(エウカリスチア)も置かれていますから、わたしたちは常に私たちと共に居られるイエズス様を身体を通して訪ねまた祈ることができます。このためにこの場所は、神さまの存在の独特な「しるし」となっています。

 旅する教会であるわたしたちが、イエズスさまのもとで一致をつくるためにイエズスさまが残してくださったのがエウカリスチアですね。
ミサの聖変化の後で、わたしたちは司祭の言葉を通して、次のように願います。

聖なる父よ、わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、
み前であなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの盃をささげます。

キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、
聖霊によって一つに結ばれますように
(第二奉献文 新式文より)と。

 つまり、イエズスさまと共に一つになったわたしたちは、イエズスさまのもとで常に新しい一致を見出すのです。そのおかげでイエズスさまと一緒に天を仰いで「主の祈り」を唱えることができます。 またさらに新しい平和を味わうこともできます。そのとき司祭を通して、次の言葉で祈ります。

主イエス・キリスト、あなたは使徒に仰せになりました。
「わたしは平和を残し、わたしの平和をあなたがたに与える。」
主よ、わたしたちの罪ではなく、教会の信仰を顧み、おことばのとおり教会に平和と一致をお与えください。
あたなはまことのいのち、すべてを導かれる神、世々とこしえに。
(教会に平和を祈る祈り 新式文より)

 この世を旅する間、わたしたちはイエズスさまのもとで新しい心をもって生きることを学んでいきます。これがわたしたちの成長を表します。イエズスさまのお言葉を思い出しましょう。

「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
…同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、
あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
(ルカ14・27、33)

 イエズスさまのもとで兄弟として学んでいきたいと思います。置かれた場所で愛されていることを認識しながら、愛の実を結ぶことを学びたいと思います。良い旅を続けましょう!

 では また来週!