[主任司祭メッセージ]
神さまの訪れ(主の降誕)2022年クリスマス
2022年12月08日
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
マリオ・ビアンキン神父
神さまの訪れは世界に大喜びをもたらしました。それは、天使たちの言葉に次のようにあります。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2・14)
人間となられた神さまのおかげで、人間は神の子どもとして生きることになりました。天と地の間にまた人の心と身体の間にも、永遠から神さまが望まれた調和が実現し、ようやく地に「平和」が訪れました。
でも、神の子として生きることはイエズス様と一緒にその死と復活に与かることですね。
実は9月の司祭メッセージが突然休みに入り、こんなに長い休みになるとは想像もしませんでした。ご存知の通り、わたしに大腸がんがみつかり入院し、11月2日に手術を受け、12月の無原罪の聖母の日にようやく退院することができました。これはたしかに、主イエズス・キリストの訪れに与かるという意味を新たに理解することができた恵みだったとも思います。私だけではなく皆さまもこの試練に加えられ、さらにこの恵みに与かられたと思います。
毎日わたしたちは主が来られるのを待ち望み、その訪れを迎え入れることによってこそ その救いの喜びにも与かるのです。しかしたまに例えば病気のような試練の時は、特別な形で主の救いの神秘に与かることに召されていますね。それはその救いの喜びに特別に与かるためです。こうして、ここでもそのために神さまに感謝したいと思います。イエズス様のお言葉を思い出しましょう。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25・40b)
主の手足になって弱い人を支えるこころは、この地上に来られた神さまがくださったこころですね。
主イエズス様の降誕がもたらされた恵みの元で生きることは、なんと素晴らしい幸せでしょう!
実はここに載せたイコンですが、これはキレネのシモンがイエズス様の十字架を代わりに担っている絵で、わたしの司祭叙階50周年の記念に友人が作ってくれたものです。その意味についてあえてここに紹介したいと思います。
命のないはずの枯れた十字架の木(試練や弱さ)から芽が出て、神さまがくださる「命の木」が生えて来ていますね。創造の時、神さまが置かれた「命の木」が再び芽生え、命の実を結ぶ十字架の木です!
神さまの訪れは、わたしたちの死にまみれた枯れ木から芽生える「命の木」、天から与えられた命、それはイエズスさまと共に自分をささげる愛です。神さまの訪れ、ようやく人類に、またわたしたち一人一人に永遠の命に与かる喜びを与えてくださるプレゼント、それがクリスマスですね。
感謝と共に、まことに主のご降誕のお喜びを申し上げます。