[主任司祭メッセージ]
No.116 (7/10)「シノドス」それは教会(エクレジアまたコムニオ)そのものを示します
2022年07月10日
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
マリオ・ビアンキン神父
この見出しの言葉は、聖ヨハネ クリゾストモ(四世紀)の言葉ですが、それは“わたしたちが一つになって共に歩む”ことを示します。
イエズス様はご自分の教会のために父に祈られたとき、こう言われました。
(父よ)わたしは、もはや世にはいません。
彼らは世に残りますが、
わたしはみもとに参ります。
聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって、
彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
…わたしは御名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます。
わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、
わたしも彼らの内にいるようになるためです」(ヨハネ17・11、26)
つまり教会は神さまの導きに耳を傾けて歩む民ですね。これらの言葉の深い意味に目覚めてそれに沿って生きるために、パパフランシスコは「シノドス」を世界中の教会に呼びかけられ、また今日の教会の事情を考え一般信徒も参加できるように、3年間に渡るシノドスを呼びかけられました。
シノドスの深い意味を少しでも理解するために、今回わたしたちはシノドスをテーマにしています。
ギリシャ語の“シノドス”という言葉は二つの言葉から成り立っています。それは「シンsyn=共に」と「オドスodos=道」、つまり“共に道を行く”という意味ですね。
では先ずたずねましょう。“誰と共に”行く、また“どこに向かって”行くのでしょうか。
その答えは、神さまと共に行き、神さまが導いてくださるところに向かって行くのです。その行くところをわたしたちは「神の国」とも「神のいのち」とも言います。
教会つまり“共に行く民”のイメージは、Synodos「シノドス」という言葉で表わされ、初代教会にとって教会を示す最もふさわしい言葉でした。(参照 使徒言行録9・2、18・25)
実はイエズスさまご自身が、ご自分についてこう言われました。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14・6)
さらに「道odos」という言葉は、わたしたちにもう一つの道を思い出させてくれます。それはエジプトから解放され、イスラエルの民が四十年間も砂漠を通って約束の地に向かって行く道です。この道をテーマとする聖書の書は日本語で「出エジプト記」と言われますが、もともとのギリシャ語の言葉は「エクス・オドスex-odos」と言い、つまり“エジプトからの解放の道”について語る書です。
イスラエルの民はいのちを支えるものが何もない砂漠を通って行き、神さまだけを頼りに歩むことを学ぶのですね。
どうしてシノドス、つまり“一緒に歩む”ことが大事なのでしょうか?もうお分かりになるでしょう。それは、人間が神さまと共に歩むことを怠りがちであるからです。ですが“神さまと共に”歩み、その愛に支えられていることを学ばなければ、わたしたちは互いに愛をもって共に歩むことさえできなくなるのです。これを可能にするためにこそ、神さまが人間となられてわたしたちと共に歩まれることになりました。
わたしたちはその方をキリスト(メシア)、すなわち神さまが約束された救いをもたらすお方を信じることによってキリスト信者となっていますね。イエズスさまこそ、わたしたちが兄弟としてふるまい、共に歩み、愛の道を開くことができるようにしてくださいます。イエズスさまは、神さまのもとにある「いのち」つまり愛をわたしたちのうちにもたらされたお方です。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15・9)
わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。
兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。(Ⅰヨハネ3・14)
わたしたちの毎日の生活の中で、人々と共に歩む工夫はたくさんあります。しかしその中にまことの愛があるかどうかは疑問ですね。つまり上からの恵みがなければ、この地上の力に従って本当は望まないこと(例えば戦争や暴力)を行うことになってしまうのです。このためにわたしたちの心は嘆き苦しみます。上からの言葉に心の耳を開きさえすれば……。でもわたしたちはいつまでも怖くて心を閉じてしまい「いのちの道」に入ることができずにいます。これらの理由で、わたしたちは「シノドス」に目覚め、神さまと共に歩むことによって兄弟姉妹たちと共に歩み、彼らと天のいのちを分かち合うことが必要です。
この信仰の模範となっているお方は、使徒ペトロですね。ペトロはイエズスさまこそ神さまが送ってくださった“お言葉”であることを信じたからです。ペトロの信仰告白とイエズスさまのお言葉を思い出しましょう。
シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間ではなくわたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。
あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイ16・16~19)
共にイエズスさまが導いてくださる道を歩みましょう。
では、また来週!
* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使う ように定めています。ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です