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[主任司祭メッセージ]
No.113 “信仰の門”が「教会の門」 に導く

2022年06月19日

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
マリオ・ビアンキン神父

 

 

今回わたしたちを「キリストの体」としてくれる“あの場所”すなわちセナクルム“上の部屋”つまり「教会」について、もう少し学びを深めたいと思います。

セナクルムは広場に面したような場所ではなく、‟二階に置かれた親密な愛の交わり”の場でした。そこはイエズスさまがご自分の神秘をお現わしになる場所であるからです。

 

「…あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」(マタイ6・6)

 その神秘とは、たとえば次の言葉にあります。

「わたしと父とは一つある。」(ヨハネ10・30) さらに

「父がわたしを愛されたようにわたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15・9)

 その場所は、イエズスさまが「最後の晩餐」を行われ ミサを通して弟子たちにその神秘に触れさせられたので、ご自分の「現実の現存 /Real Presence 」の場所ともなりました。でも「最後の晩餐」の時 彼らにはまだまだ分からないことがいっぱいありました…。こうしてイエズスさまは次の言葉を述べられました。

「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、  またこれから起こることをあなたがたに告げるからである。」(ヨハネ16・12-13)

 実際その通りでした。イエズスさまの“受難と死の時”になると、彼らは怖くて皆あのセナクルムの場所に逃げ込み、門を閉めて引き籠ってしまいます。しかし復活されたイエズスさまが鍵のかかったままの‟あの部屋”にお現われになって「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)と挨拶されたあの時、彼らは喜び、初めてイエズスさまの神秘に完全に与ることになりました。

 その部屋で弟子たちは聖霊を待ち望み 祈り、聖霊降臨の後 あのセナクルムの門を開き皆に神さまの救いの業を述べ伝えて行きます。

…皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。(使徒言行録4・31b) と。

 その時から今日まで、同じことが起こっています。つまり、わたしたちを生んだあの最初の場所「セナクルム」を今、わたしたちは「教会」と言うのですね。

 パウロたちが宣教の旅を終えてアンティオキアに戻ったとき、その様子を次のように語ります。

到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。(使徒言行録14・27)     と。

 このパウロの言葉を借りて、ベネディクト十六世は2011年「信仰年」の開催の告示を世界中の教会へ呼びかけられました。これは「信仰の門」として知られている文書ですが、冒頭の1の紹介をここでさせていただきます。

1 「信仰の門」(使徒言行録14・27)は常にわたしたちに開かれています。それはわたしたちを神との交わりの生活へと促し、神の教会へと導き入れてくれます。神のことばがのべ伝えられ、わたしたちを造り変える恵みによって心が形づくられるとき、わたしたちはこの門を通ることができます。この門に入るとは、生涯にわたって続く旅に出発することです。この旅は洗礼によって始まります(ローマ6・4参照)。わたしたちは洗礼によって神を父と呼ぶことができるようになるからです。そして、旅は死から永遠のいのちに過ぎ越すことによって終わります。永遠のいのちは主イエスの復活がもたらしたものです。イエスのみ心は、聖霊を与えることによって、イエスを信じる者をご自身の栄光へと引き寄せることでした(ヨハネ17・22参照)

父と子と聖霊の三位一体への信仰を告白するとは、愛である唯一の神を信じることです(Ⅰヨハネ4・8参照)。父は、時が満ちるとわたしたちの救いのために御子を遣わしました。イエス・キリストは、ご自分の死と復活の神秘によって世をあがないました。聖霊は、世々を通して、主の栄光ある再臨を待ち望む教会を導きます。

 「信仰の道」に導く場所が「教会」ですね。また「教会」に入れてくれる‟門”は洗礼です。

 つまりあのセナクルムでわたしたちも信仰の恵みを受けて信仰に生まれ、養われ成長し、またその信仰を伝えるために派遣されます。これは永久に「教会」ですね。「教会」は神さまのお家であり、またわたしたちのお家です。イエズスさまがそこでわたしたちと出会い、わたしたちを癒し 養い育て、‟ご自分の体”である「教会」にしてくださり、また死ぬときに迎え入れてくださる場所です。

 

 

また来週!

 

* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使う ように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。