キリストは救いのわざを、とりわけその過ぎ越しの神秘によって成就されました。
そのため、この枝の主日からはじまる一週間は、キリストが死を「過ぎ越し」て新しいいのちにうつられたことを3日間全体で記念する「聖なる過ぎ越しの三日間」(聖木曜日・聖金曜日・主の復活の徹夜祭)へ向けて進む、教会典礼の最大のクライマックスとなる一週間です。
受難の主日には、むかしエルサレムの町に人々がイエスを迎えたように、この日曜日には信者は手に祝別された「しゅろの枝」をもって行列し、「門よ、扉をあげよ、永遠の戸よ あがれ、栄光の王が入る」(詩編24)と歌いながら聖堂へ入ります。
聖週間と「主の過ぎ越しの聖なる3日間」
教会は、キリストの生涯の主な出来事を思い起こす(記念する)ことによって、わたしたちがキリストの救いの恵みに与るように招きます。
キリストの「救いのわざ」の中心は、受難と死を通して復活の栄光に移られた「主の過越」(死から生命へ過ぎ越す)にります。
旧約の過越祭に代わり、キリスト者の間にはこれを祝う復活祭が年に一度盛大に祝われるようになりました。特に主の復活の日を迎える「聖なる三日間」は大切にされました。また「受難の主日」(枝の主日とも呼ばれる)に始まる一週間も「聖週間」と呼ばれるようになりました。
この一週間の典礼は、すでに紀元400年ごろエルサレムで盛大に行われていました。キリスト者たちは、各々の日に、出来事が実際に起こった場所に集まり、その出来事の聖書の箇所を朗読して、イエスの救いのわざを記念し、黙想し、祈ったのです。こうしてエルサレムで盛んになった聖週間の典礼は、次第に各地の教会でも行われるようになりました。
聖なる三日間は、ふつう1日目・聖木曜日、2日目・聖金曜日、3日目は聖土曜日または復活徹夜祭というふうに考えられていますが、正確には次のようになります。
第1日目
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木曜日の日没から金曜日の日没まで。(ユダヤ暦の週の弟6日)最後の晩餐からイエスの死と墓に葬られるまで。 |
第2日目
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金曜日の日没から土曜日の日没まで。(ユダヤ暦の安息日)教会は主の墓のもとに留まり、主の受難と死をしのぶ。 |
第3日目
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土曜日の日没から日曜日の日没まで。(ユダヤ暦の週の初めの日)この夜教会は復活徹夜祭を盛大に祝い、翌朝の復活主日のミサ、復活主日の晩の祈りで締めくくる。 |
(聖なる三日間は、1日の境目が日没時という当時のユダヤ暦に従って区切られています。)
聖木曜日「主の晩餐の夕べのミサ」 4/9
「主の晩餐の夕べのミサ」から「聖なる三日間」が始まります。
このミサは最後の晩餐を直接記念するものとして、必ず夕方に行われるばかりでなく、共同体の全員が一つのミサに集まり、一致の秘跡(目に見えないものの目に見えるかたち)であるミサの制定が記念されます。
キリストが聖体を制定され、ミサを残してくださることにより、いつまでも、今もキリストはわたしたちと共にいてくださり、キリストとの一致を通して、わたしたちのあいだの一致も完成されます。
聖金曜日「主の受難」 4/10
今日の典礼は、キリストの受難と死を単に時間的な順を追って再現しようとするのではなく、人類の歴史全体におけるキリストの受難と死の意味を思い起こし、復活への希望をもってキリストの十字架の勝利を賛美するものとなっています。
聖土曜日 4/11
「復活の聖なる徹夜祭」 4/11日没後
復活徹夜祭は「あらゆる徹夜祭の母」(聖アウグスチヌスの言葉)と呼ばれて大切にされ、
すでに四世紀にはエルサレムだけでなくいろいろなところで盛んに行われていました。
この夜は、古来、神のために守る徹夜(出エジプト12・42)の日とされ、キリスト者はあかりを灯し、
目をさましてこの夜を過ごします。
こうして、主が死から生命へお移りになったこの最も聖なる夜、
洗礼によって新しく生まれた兄弟とともに、喜びの食卓(ミサ)に招かれるのです。
復活の主日 4/12